願いは叶えたけど・・・ 

   前回取材記事を載せると書いたのに様々な都合でエッセイになってしまって非常に申し訳ないです。今回は僕が以前書いたエッセイを載せたいと思います。今回あらためて読み返してみて「そういやこんなこと書いていたな」と思い出しました。読んでいただけたら嬉しいです。 

 

 僕には人生で一度はやってみたいこと(2度はいい)がけっこうある。アメリカを端から端まで車で横断するとか、納豆が好きな猫を飼うとか、某大学の事務室に「あの…授業がへそがひん曲がりそうなくらいつまらないので、その授業をやっている教授をすりこぎでひっぱたいてくださいませんか?」とお願いしにいくとか(えっと最後のは嘘だけど)。そしてそんな1度は人生でやってみたいリストにもれなく入っていたのが“髪を金髪にする”という計画だ。入っていたと書いたのは、最近僕はとうとう金髪にしたからだ。いやぁ、長年の念願がかなってよかったです。髪を金にした途端、周りの女の子にはチヤホヤされるし、スーパーのレジの店員さんはニッコリと笑いかけてくれるし、道端の猫はウィンクしてくれる。というのは全くの嘘で、むしろ事態は悪い方向に流れつつある。まあ色々と髪を金にすると困ることはあるのだけど(髪は痛むし、警察には無条件でやたら止められる)なんといっても困るのが服装だ。これまで僕は黒い髪をしていて当然服もそれに合わせたものを着ていたのだが、金髪にするとそうした服が途端に似合わなくなるのだ。特にシャツとの相性が悪くてシャツを着るとなんだかキメきれてない韓国の若者みたいになってしまう。でも僕は持っている服の7割ぐらいがシャツなのでしょうがいないから新宿のルミネに服を買いに行くことになる。

  メンズ服売り場に行って、僕がさあ何にしようかなと悩んでいると「お客様、どんな服をお探しですか?」という声が聞こえた。振り向くと若い男の店員さんが顔全体に営業スマイルを浮かべて僕の後ろに立っていた。これはなかなか厄介だぞ、というのがこの手の店員さんに出くわした時の僕のいつも抱く感想だ。「これ、どうですか。これ素材感がまじ気持ちいいんすよ」彼は僕がひるんでいることをいいことにグイグイと売り込んでくる。「ほら、ちょっと触ってみてください…ねっ!」「あ、なるほど…気持ちいいかも」「あっこれなんか季節的にもいいんじゃないですか」と彼は今度は別のセーターを持ってくる。こうなると僕はもうダメだ。決まりきった営業文句をつぎつぎと繰り出すマシンと化した彼を尻目にいそいそと逃げ出してしまう。こうした経験をするたびに僕はいつも思うのだけどデパートとかの服売り場にもスーパーに最近置いてある“レジ袋いりません”のカードみたいに“接客いりません”のカードを作って置いておけばいいのではないか。そうすれば僕みたいなお客さんも楽しんで買い物をすることができる。僕みたいなお客さんがルミネを出てどこにいくかというと結局ユニクロみたいな適度にほうっておいてくれる大型店に行ってしまうのだ。なんてことを自転車に乗りながらふと考えた。えっと、なんの話をしてたんだっけな。

 

今回をもって「かど」はしばらく休みます。

これまで読んでくれた方本当にありがとうございました。

遊び

 夕方6時。新宿に3人の男子学生がいる。そして日本全国の多くの大学生が交わしているであろう宿命的な会話が始まる。

 

「何する?」「うーん・・・(ため息)・・・(間)。」「暇だな・・・」「うーん(鼻ホジホジ)」「〜〜がいいんじゃない?」「うーん」「ねー何する?!」

繰り返し。繰り返し・・

 

 でも幸いここは新宿だ。なんでも揃っている。飲み、カラオケ、ダーツ、映画鑑賞、温泉だって入れる!そしてこれらにはある〈カッコ〉がもれなく付いてくる。(おっ、やったー!)そう、〈お金さえ払えば〉というカッコが。(がーん・・・)新宿という街には“お金がかかるシステム”が組み込まれているのだ。何をするにもお金がかかる。飲み、カラオケなどなど。逆に言えば金さえあれば楽しい街だ。でも僕たち3人はそんなシステムに対抗してみたかった。証明してみたかった。新宿でもお金を払わずに十分、いやそれ以上に楽しい思いをできるのだということを。

 

  • 隠れ鬼ごっこ

3人のうち1人がトイレなどに行った。その隙に残りの2人がそいつのカバンを持って逃げ出す。(注意→少し隙を作ってあえて追っかけさせるのが楽しむポイント!)ワーワーギャーギャー言いながら人混みの中を逃げ回る。(駅とかはやめておいたほうがいいかもしれない)そしてビルなどの物陰に隠れる。はぁはぁ、ドキドキ。自分たちの目の前を、カバンを取られた友人が気づかずに通り過ぎる。ドキドキ・・ 

 これはなかなかオススメ。たくさんのビルがあり人が大勢いる新宿だからできる楽しみ♪〜

  • キャッチへの対応

夕方の新宿を歩くと必ず居酒屋への勧誘がある。キャッチだ。それを「いや、大丈夫です」とそそくさと断って立ち去るのではなく、「いかに面白く断れるか」という条件をつけて断る遊び。

 例えば3人いればキャッチの人が「居酒屋どうすか?」と言ってくる瞬間に3人がパッと散り、キャッチの人を取り囲む。そして無言で3秒ぐらい見つめた後、平然と立ち去る。キャッチの人は一瞬何が起きたのかわからず呆然とそこに立ち尽くす。

 

 

次回は取材記事です!!お楽しみに

ドーナツとギター

 僕はドーナツが結構好きでよく食べる。この前ミスタードーナツポンデリングを食べていたら、目の前にある紙ナプキンの箱に「怒りながらドーナツを食べるのは、難しいね」という文句が書かれていた。なるほどなぁと妙に納得してしまったのだが、たしかに怒りながらドーナツを食べている人を僕はまだ見たことがない。怒っていても「はい」とドーナツを渡されると「だからさ・・(もぐ)いや、まあ、(もぐもぐ)まあ次は気を付けてね」みたいになんとなく怒りがやわらいでしまいそうだ。ドーナツはそういう人をほがらかにさせる要素(ドーナツ効果と僕はひそかに呼んでいる)を持っているのかもしれない。

 

 ドーナツをよく食べるからかどうかはわからないが、僕はあまり人に腹を立てないほうだと思う。そりゃこれまでにいくつか嫌だなと思うことはあったが(自転車を盗まれたりとか、すね毛を抜かれたりとか)でも怒ってやたらと物をぶっ壊すようなことはしない。別にそんなに怒ることでもないか、とわりにすんなり流してしまう癖がついている。昔見た『アメリカンヒストリー』という映画で、老人がナチスに憧れている若者に「怒りは君を幸せにしたか?」と問う場面があったけど、怒っても人は特にいい気持ちにはならないようだ。(少なくとも僕は)それに何かに腹を立てるのはけっこう疲れる。

 

 でも自分が感じた嫌なことを溜め込んでいくと人は憂鬱になってしまう。だからそうした日常の中で感じている嫌なことを体から出す必要がある。怒ることも嫌なことを体から出す1つの方法だと思うが、僕は何か嫌だなということがあった時はギターを弾いて歌うことが多い。意識してそうしているというよりも、体が勝手にギターに向かってしまうのだ。シールドをアンプに繋いでギターのボーリュムを上げ、ジャカジャカと弾きながら大きな声で好きな曲を歌う。30分もすると僕の中にある嫌なことはきれいにあとかたもなく消えてしまう。

 ギターのいいところは他人を巻き込まないことだ。自分の話を人に話して自分の中にたまっているストレスを解消する人は結構いると思うが、それ(いわゆる愚痴)を聞かされている方からするとわりに大変だと思う。もちろんギターでも大きな音で鳴らしていたら近所迷惑かもしれないが、まあ基本的には1人で完結するのがギターのいいところだ。

 

              

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来週の記事は「遊び」です!

                   

牛肉ができるまで <エスフーズミートセンター>

 僕は焼肉屋でアルバイトをしているということもあって、結構な頻度で牛肉を目にする。だから牛肉にはそれなりに親しみを持っている。もしも牛肉と豚肉と鶏肉たちに「ねえ、あなた私たちの中で誰を選ぶのよ?はっきりしなさいよ」と一択をせまられたら、少し悩んで牛肉を選ぶだろう。まあそれくらい牛肉には親しみを持っている。だからというか僕はこの色々な職業や工場を取材しようという企画を最初に思いついたときから食肉工場には興味があった。牛肉という一つの商品がどういう風に作られていくのだろうかと。

 そこで今回僕のアルバイト先の協力の元、エスフーズという会社の食肉センターに見学に行ってきた。

 

 <エスフーズ>は兵庫県西宮市に本社を置く会社で国産和牛を国内はもちろん海外にも輸出している。関西方面では「こてっちゃん」という商品を作っている会社として多くの人に知られているかもしれない。今回僕ら(アルバイト先のSさんとAさんと僕)が訪れたのは埼玉県の八潮市にあるこのエスフーズの食肉センターだ。八潮駅から車で5〜6分ぐらいのところにその工場はある。僕はものすんごくでっかい工場みたいなのを想像していたのだが、そこまでは大きくなく田舎にある大型スーパーぐらいの大きさでとても綺麗な工場だ。

 

 まず応接間に通されそこで営業担当の栗原さんと工場のミートセンター長である坊さんに軽い説明を受ける。この八潮のミートセンターで扱っているのは主に牛の枝肉(頭・尻尾・手足・内臓を除いた部分)とのことだ。つまり生きている牛を気絶させて殺し血を抜いて皮を剥いで内臓を取り出したりする生々しい過程はもうすでに終えた肉をこの工場では扱っているということだ。だから今回はいちから全部の過程を見るわけではないことを最初に断っておきたい。

 

 ではいよいよ工場見学に入ろう。まず工場内は寒いので紺色の厚手の上着を着てから(これがけっこう気持ちいい。冬場なんかかなり重宝しそうだ)その上にさらに白いレインコートみたいなものを羽織る。そして工場の入り口に案内される。ここで長靴を履きマスクをつけ衛生帽(透明な給食帽のようなもの)をかぶり、手をアルコールで消毒する。やはり食品を扱うのでこの手の衛生管理はしっかりするのだろう。次にエア・シャワー室に入る。エア・シャワー室というのはドアとドアの間にある空間で、そこで一回に3人ずつ入りドアを閉じてホコリを吹き飛ばすのだ。中に入りドアを閉めると風が吹き始める。何秒かすると風が止むのでドアを開けて外に出る。外に出るとそこはもう肉工場だ。

 

僕たちの格好

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 さて、エア・シャワー室ですっかり身も(心も)清められた僕らはまず牛の枝肉たちが保管されている巨大な冷蔵庫に案内していただく。冷蔵庫といってももちろん家庭にあるようなものではなく40メートル四方の大きな倉庫である。ドアを開けて中に入るとそこには頭と手足が落とされ皮はすでに削がれた70頭ぐらいの牛(枝肉)たちが天井のレールから吊り下げられてずらりと並んでいる。これはかなり迫力がある。映画ロッキーで吊るされた牛の肉を主人公のスタローンがサンドバックに見立てて殴るシーンがあったけどまさにあんな感じだ。僕はもちろん殴らなかったけど。

 この冷蔵庫は最大200頭ぐらいの枝肉が保管できる。天井に付いているレールは全て手で動かすらしい。そっちの方が機械でリフトみたいに動かすより小回りがきくので動かす時にいいとのことだ。枝肉は全てコンピューターで「鹿児島産-雌-F8594」みたいに管理されている。また牛にはスタンプみたいなものが押されていてパッと見てすぐにどのランクの牛かわかるようになっている。お肉の質は主に牛のお腹のあたりに入れられた切込みから見えるサシ(赤みの肉に入っている霜降りのこと)の量で決まるという。そうして決められた牛のランクは番号とアルファベットで表示される。<アルファベット(A~D)は肉の量を、番号(1~5)はその肉の質をそれぞれ意味する> 例えば僕の前にある牛を見てみるとB4というスタンプが押されている。これは肉の量は2番目に多く、肉の質も5を一番良いものとするのでかなり良い牛だということがわかる。生きている時にその牛がどんなに可愛くてもハンサムであっても関係ない。ここで重視されるのはこのアルファベットと番号で表される量と質なのだ。もし僕なんかが量と質で評価されたらおそらくD2と書かれてドックフードなんかに混ぜられちゃうんだろうな、なんて下らないことを考えるわけだけどもちろんそんなことは現実には起こらない。

冷蔵庫の様子

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さて次に冷蔵庫で保管された牛を解体する解体場を見せていただく。これが肉工場最大の見せ場といってもいいだろう。

 先ほどの冷蔵庫からレールに吊るされた牛をガラガラと引いてきて、それを7人ぐらいのチームで解体していく。学校の体育で使う体操マットぐらいの長さのベルトコンベアーの両脇に3人ぐらいずつ肉を切る人たちが並び、まず先頭の人が運んできた牛をチェーンソーでいくつかの塊に分解しそれをベルトコンベアーの上に乗せる。(←小割と呼ばれる作業)そしてその塊を隣の人が抱えるようにして骨を抜いていく。(←抜骨)これは素人目には包丁で切るというよりは短剣のように肉に突き刺しているように見える。

  とここまで見て驚かされるのが牛を解体していくその速さだ。グイっグイっと肉から骨を取り、その骨を後ろに置いてあるプラステッィックのケースに放り込む。そして肉は隣の人に渡し自分は再び先頭から送られてくる塊に包丁を入れていく。これを手際よく凄まじい速さでこなしていくのだ。一頭を解体するのに要する時間は15分ぐらいだという。どうしてこんなに早く切ることができるのかというと彼らは「肉を切ること」だけを専門にしている職人なのだ。彼らは親方について切り方を習いエスフーズの会社から頼まれて1キロいくらいくらという契約で雇われている。自分たちが解体したぶんだけお金が儲かる完全歩合制だ。だからやる気も出るのだろう。彼らの一日は朝7時に工場にやってきて12時まで牛を解体し昼ご飯を食べ、午後はノルマ数(大体24頭ほど)の牛の解体が終わるまでやるらしい。世の中には肉を切ることだけを専門にして生きている人がちゃんといるのだ。本当は彼らに話を聞いてみたかったけどみんなすごく忙しそうにしていてとてもそんな雰囲気ではなかったのでしかたなく諦めた。

 

解体場の様子

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話を牛肉ができる過程に戻そう。えーとどこまで説明したんだっけ。あっ骨を抜いたところまででしたね。ここからまでくればあともう少しである。

 今度は骨を抜いた肉の端などを切ったり重ねたりしてトントンと整えていく。これはエスフーズの社員の人たちがやる。次に整えた肉を1メートルぐらいの四角いトンネルみたいな機械に通すとお肉たちは真空パックに詰められて出てくる。それを2秒間お湯につけ真空パックをぎゅっと縮ませる。そして真空パックに包まれた牛肉を取り出し今度は金属探知機に通す。坊さんによるとごくたまぁ〜に牛がうっかり金属を飲み込んでいることがあるらしい。だから一応金属探知機にもかけるのだ。僕たちが牛肉を食べた時に「あれ?今なんか硬いもの噛んだぞ」とならないのはこいつのおかげなのだ。

 そして金属探知機を無事パスしたお肉たちは情報が書かれたラベルをペタペタと貼られ箱に詰められていく。これをスムーズにやるのはけっこう難しい作業で(包まれた肉を瞬時にどの部分か判断し機械にその情報を打ち込まなければいけない)社員の人がやるとのことらしい。こうしてラベルを貼り終え、めでたく牛肉が商品として完成する。

 

一応、牛から牛肉になるまでの大まかな過程をまとめておきます。

 

(1)頭や手足、内臓が抜かれた牛が冷蔵庫に保管される。

(2)その牛を解体する。

(3)解体された肉を整える。

(4)真空パックに詰めて情報が印刷されたパッケージをはる。

   →完成!

こうして完成したお肉たちはスーパーや焼肉屋などに日々送られていくわけである。

 

 ………というわけで、牛が牛肉になるまでを見てきたのだけど、この工場見学を終えて僕が持った印象は占めている作業のほとんどは意外と機械じゃなくて人間の手作業が多いんだなということだ。今はいろんなものが機械にとって代わられていく時代だけどまだまだ手作業でしかできない(あるいはそっちの方が早い)部分も残っているようだ。少なくてもエスフーズの食肉工場には。そういう風景を見れてなんだかホッさせられた取材だった。

 最後に僕がおそるおそる「これはちょっとお肉のこととは関係ないかもしれないんですけど社員旅行とかってあるんですか」と聞くと坊さんは笑って「うちは365日営業していないといけないんですよ。元旦とかの注文もあるんで。でも工場の前の庭で新入社員を歓迎するバーベキューはやりますよ」と笑顔で答えてくれた。

 

 今回協力してくださったアルバイト先のSさんAさん、そしてエスフーズの栗原さん坊さんありがとうございました。

 

来週は「ドーナツとギター」です!

 

 

 

 

 

 

人はなぜ・・・

「人はなぜ・・・するんだろう?」と悩んだことはありますか?そうしたことを悩んだ人生と悩まない人生ではどのくらい収入に差が生まれるのか。えっと僕にはちょっとわかりません。まあとにかく「人はなぜ・・・?」というのが今回のテーマです。僕とゲストのカモメくんでそれぞれ考えてみました。

 

『人はなぜタバコを吸うのか』              カモメ

 

「タバコの臭いは生理的に無理」、「タバコは高いのになんで買うの?」、「タバコを吸うなら周囲へ配慮して!」

非喫煙者嫌煙からしたら害虫のような存在。それが喫煙者という生き物。

喫煙者はそんな声にはお構いなしで喫煙所へ向かう。

 

人はなぜタバコを吸うのか。

 

その問いに非喫煙者はこう答えるだろう。

「タバコにはニコチンが含まれているから」

確かにその通りだ。でも喫煙者界隈の話を聞いていると単に物質の問題だけではないように感じる。

 

本稿の筆者もまた喫煙者で、これまで大学や職場で多くの煙仲間と語り合ってきた。

 

今回は筆者の煙仲間の『声』をいくつかご紹介したい。人がタバコを吸う理由について少し考えてみよう。

 

1.「なにを吸っているんですか?」

喫煙者の方ならばわかるだろうが、喫煙者には不思議な結束力がある。筆者は現在就職活動中であるが、インターン先で同席していた人を喫煙所で見かけると自然に会話を切り出すことができる。タバコはある種の趣味で、共通の話題に成り得る。

 

2.「俺の周りの人間が一斉に禁煙したら俺もタバコをやめるよ」

筆者の周りではこの話をよく耳にする。大学の長い講義の後、アルバイトの休憩時間、仕事帰りの一服。いつも同じ時間、同じ場所に自然と同じ顔触れが揃う。日々の愚痴、将来への不安、最近会った面白い話等々。喫煙者たちは毎日同じ人間と顔を合わせ、思い思いの話をする。コミュニティへの帰属意識。喫煙者はタバコを吸うとき、自分が社会集団の一員であることを自覚する。

 

3.「飲み会あると本数増えるよな」

酒とタバコの相性は最高である。酒が進めばタバコも進む。だが、飲み会でタバコを多く吸ってしまうのには、もう一つ理由があると筆者は考える。それは空白の時間だ。ある話題がひと段落し、つまみに手を伸ばそうとしたが、あまり食べたいものがない。手持ち無沙汰になったとき、喫煙者はタバコに火をつける。飲み会中に訪れる空白時間の数だけタバコは減っていく。

 

4.「タバコを吸う理由?やっぱかっこいいからだろ」

本稿を読んでいる方はそのように思うだろうか。禁煙ブームの漂う昨今において、この価値観は前時代的なものになりつつあるかもしれない。それでも好きなアーティストやキャラクター、著名人がタバコを吸っている姿は様になると筆者は思う。タバコに火をつける瞬間、タバコの持ち方、煙の吐き出し方。一つ一つの仕草がその人の個性だ。個性が露出する瞬間、その人の生き様を目の当たりにする。そこに憧憬の念を抱くのは至極当然ではなかろうか。

 

5.「喫煙者なんて底辺だよ」

喫煙者同士でよく言うフレーズだ。吐き捨てるように言う。社会のはみ出し者であることに酔いしれ、自分なんてと自虐する。その瞬間が心地良い。人間は常に前を向いて生きているわけではない。時に立ち止まり、振り返りながら人生を歩む。まともな人間じゃないという自覚が返って心の支えになるのだ。

 

いかがだっただろうか。非喫煙者にとって喫煙者は理解しがたい存在だ。今日も社会の片隅で喫煙者はタバコに火をつける。「俺なんてさ」と呟いていたら、いつもの顔ぶれがやってくるのだ。

 

※本稿は喫煙を助長する意図で書かれたものではない。

 

 

 

 

 

 

『人(僕)はなぜ山に登るのか』                    原島大郎

 

 最近僕は中国の山に登ってきた。街でマウンテンバイクを700円ぐらいで借り、GPSがうまく作動しないgoogle mapをたよりに走ってきた。市街地から山を越えた隣町までは片道40キロほど。なので「まあ、いけるべ!」と軽く考えていたらけっこう痛い目にあった。中国にはまだ舗装されていない道がけっこう残っていて、その道の間はマウンテンバイクといえども自転車を押して歩かなきゃいけないのだ。だから予想よりすごく時間がかかったしパンクしないか常にひやひやしていた。それと僕は自転車での山登りが初めてで、こんなに自転車で坂を登ることがきついことだとは知らなかったのだ。ツール・ド・フランスの選手みたいにピュ〜っとはもちろん登れず、上り坂でセコセコとペダルをこぐ僕の身体はすぐに疲れてしまうし、いくらこいでも全然自分が上に登っている感じがしない。スタンドをしたまますごくギアの重いペダルをこいでいる感覚だ。しまいにはひたいから汗が滝のように湧き出てきてTシャツはびしょびしょになる。

 

というような話をすると周りの人は首をかしげて「どうしてまたわざわざ汗までかいて山に登るの?」と聞く。当然の質問だ。山を登ったら誰かが僕を「よくやったな!」と褒めてくれるわけでもないし、登った先に絶景が待っているわけでもない。(もちろん幾らか迫力のある景色は見れるが)ではどうして僕は山にわざわざ辛い思いをして登るのか。

 

 それは僕が山登りという行為が作り出す“とりあえず登るしかない(あるいは降りるしかない)”という状況に惹かれるからかもしれない。もう少し具体的に言うと目の前の道を歩くしかない状況。スポーツジムみたいに「まっ今日はこのへんでええかな」と途中で家に帰ったり、コンビニに寄って新刊のジャンプを買ったりはできない状況。(少なくとも中国の山では)さらにポケットの中のスマホも山の中では電波が届かない。そうなるとあとは目の前の道を進んでいくしかないのだ。

 

 今僕が生きている時代は蒸し蒸しとしたサウナの中にいながらスマホで友人とチャットをすることができるし(実際に僕が知り合ったスイス人の女の子は中国の人はみんなサウナでスマホをいじっていたよと教えてくれた)また今の時代は家の中でも外出中でもいろんなことができる。日々の生活の中で「とりあえずこれだけをやるしかない」という状況はほとんどない。そういう意味でこの山登りという行為が作り出す限られた選択肢しかない状況というのは今の時代からするとかなり特殊なものかもしれない。そして僕はときどきそうした特殊な状況に、炊飯器に入れっぱなしのご飯をラップに包むとかいった選択肢を全部ぽいっと放り捨てて、自分を置きたくなるのだ。それが僕の山に登る理由だと思う。

 

次回は2回目の取材記事です!!どうぞご期待を

ビニール傘

 ちょっと想像してみてほしい。晴れていた空が曇りだし突然ものすごい雨が降りはじめる。あなたは建物の中にいて、傘を持っていない。いつやむのかとじっと窓の外を見ている。でもあなたは家に帰らなければいけない。そういうときあなたならどういう行動をとるだろうか。少し濡れて傘を買いに行く。しばらく様子を見る。いろいろと出る行動はあると思う。でも僕はそのとき(僕は大学にいた)忘れ物が置いてある警備室に借りに行くことにした。もしかしたら警備員が傘を貸してくれるかもしれない、という期待からだ。

 

 「すみません、傘を貸してくれませんか?」と窓口で尋ねると「いや、お貸出しはしてないんですよ」とあっさり断られてしまった。でも僕もここで、そうですかと引き下がるわけにはいかない。ぐしょぐしょになって帰るわけにはいかないのだ。そこで「たしか、、、4月ぐらいにパソコン室にビニール傘を忘れてしまったのですが」とふと思い出したように言うと(明らかな嘘)警備員の方もそれをびりびり感じているらしく簡単には貸さないぞという顔で「ビニール傘と言ってもいろいろとありますからね。取っ手は白ですか、黒ですか?そのビニールはこう薄く曇っていますかそれともきれいに透明なやつですか?」とやたら細かく聞いてくる。僕も「いやぁ4月なんでちょっとよく覚えてないんですよ」なんてごまかしながら答えていると、あげくの果てには「傘の長さはどのくらいですか?」と聞いてくる。ビニール傘の長さなんてだいたい決まっているから「普通のやつですよ、このぐらいかな」と手で表すと、相手はいかにも驚いたように「けっこう長いですね」といってもう一人の警備員と顔を合わせてにやにや笑っている。

 

 そんなおそろしく不毛な会話をだらだらと8分くらいしてねばっていると、ひとりの警備員が折れて「ちょっと見てくるから」と忘れ物の傘を確認しに行った。そして40本くらいのビニール傘を持ってくると「本当はいけないけど好きな傘持ってっていいから。ほら」とあきらめたように言った。僕の粘り勝ちである。ありがたくきれいな傘をいただいてその日はぬれずに帰ることができた。(警備員さん、ありがとうございました)

 

 某大学の事務室(おそらく他の大学もそう変わらないと思うが)は「学生にこう言われたら、こう言う」というマニュアルを持っていて、そのマニュアルから外れたものごとはいっさい受け入れないという合理的で、システム化された方針をとっているように僕は思う。でも同時に、そうしたシステム化された組織の中にも個々としてみれば人間的温かみを持った人も少なからずいるとも僕は思う。事務室からは傘を貸すな、と言われているけど僕に傘を貸してくれたあの警備員さんのように。

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                       来週のテーマは「人はなぜ・・」です!

                           

僕の出会った有名人

                              

 ぎゅうぎゅうの山手線の電車の中でちょっぴりエッチな漫画をスマホでこっそり読んでいると「オっ君もそれ読んでるんだねっ!?」と声がしたのでハッと顔を上げると俳優の柄本時生(あのプロミスのCMに出てる人)だった、というようなミステリアスな出会い方を僕はしたことないけど、僕にもこれまで会った有名人は何人かいる。そんなわけで今日は僕が出会った有名人について書きたいと思う。

(だいたい僕がこんな例を思いついてしまったのはテレビのチャンネルを変えていたらプロミスのCMが何度も流れて彼の顔が僕の脳裏に焼き付いてしまったからである。現実の柄本時生おそらく携帯でエロ漫画を読まないし僕ももちろん読みません。あくまで僕のイメージです。ふー)

 

 えっと一人目は斎藤工。彼は実をいうと僕の通っていた中学校の先輩なのだ。彼は僕よりずっと前に卒業してしまっていたのだが、その時たまたま僕の中学校の校長先生に挨拶しにきていたのだ。斎藤工がまだ今みたいに有名になる前だから、クラスの彼の扱いは冷たいもので、「わざわざ彼を見に下に行くんだったら爪でも切るよ」ぐらいのものだった。でも中学生の僕はしっかりミーハーだったので「斎藤工!なんだか知らねえけどイケメンだったら見とくか」というなんとも浅い考えから授業のプリントと色鉛筆を手に下の階に降りて行った。(もちろんサインをもらうためのもの)実際に目の前で見る彼はかっこよかった。声も低いし、唇だって厚かった。僕がもぞもぞとヨレヨレの授業の裏紙とオレンジ色の鉛筆を差し出すと快くサインしてくれた。その時とても嬉しかったことを覚えている。だけど、そのサインは何かのノートに挟んでおいてそのまま無くしてしまった。今振り返るととても惜しいことをしたと思う。

 

窪塚洋介

 僕は大学一年生ぐらいの時に渋谷の家系ラーメン屋でアルバイトをしていた。そのラーメン屋に彼は来た。最初、僕は窪塚洋介と気づかなかったのだけど、(彼は有名人特有のマスクで顔を隠していて、迷彩のジャンパーを着ていた)彼が僕に食券を渡した時に気がついた。「あのピンポンの星野じゃん!」と大きな声で言いそうになったが、もちろん言わなかった。ぐっとこらえた。その後、彼にラーメンを出し終えてチラチラと彼の方を見ていると(それを感じ取ったのか)彼はチャーシューを2枚追加した。それもとてもクールに。「兄ちゃん!チャーシュー!チャーシューちょうだい!」とヒステリックな声は出さずに。うちの店のスリッパみたにパッサパサのチャーシューが美味しかったらしい。その後、彼は颯爽と店を出ていった。彼が食べ終わった後の皿を下げに行くと、一口だけかじった2枚のチャーシューがきれいにそのまま残されていた。僕が出したものだ。なぜ彼は食べもしないチャーシューを注文したのだろう。僕への挑戦状だろうか。わからない。だから今でも窪塚洋介を映画などで見かけると「どうして追加したチャーシュー残したのかな」とつい考えてしまい映画に集中できない。

 

 来週は「ビニール傘」です。また読んでもらえたら嬉しいです。